ごはんのお供
今週のお題「ごはんのお供」
「ご飯のお供」と聞けば真っ先に「ふりかけ」に思いをはせるハクマイスキーは恐らく私だけではないだろう(むしろパン派など実存しないのではかなろうか)。
「ふりかけ」と言えば
多くの人類はのりたまを想起することだろう。
実際のりたまのかかったご飯の匂いを嗅ぐことでいきり立った心に平静を取り戻し、口に食(は)んだだけで郷愁の念を抱く人も多いのではなかろうか。
忙しいご母堂たちが弁当に押し込んできた、母の味代表である。
のりたまとは別にすきやきなる亜種も存在するが、これまた甘くて優しい旨味に満ちた味わいである。
ゆかり かおり あかりの三姉妹
飾り気の少ないパッケージも乙なものである。味もオーソドックスな物だが、だからこそ雑味がなく素直に美味と感じ取れる良いものである。
同じ会社で意外と知られていないのがこの菜めし三姉妹である、近所置いていない諸兄は通販なる文明の利器をお勧めする。
私自身一人暮らしを始めて以来、一番食べたものと言えば白米、一番作った料理は炊き上げた白米、その白米は「ふりかけ」があるから炊くのであって、ふりかけは白米のためにある。時たま乗せる生卵は白米と「ふりかけ」を際立たせる調味料、隠し味の類であり決して主役足りえないー
ー白米は常に「ふりかけ」と共にあり 両者は言わば一つの事象として数えられる物であるからして、「ふりかけ」をかけた白米をかきあげる その行為は人生凡百の基底に数えらるべき真理である。「かけに始まりかけに終わる」その一挙手一投足は祈りに等しいものであり、かきあげたのちに訪れる腹の重みはまさに人生の重みといえよう。