最近見た映画
今週のお題「最近見た映画」
「最近見た映画って何」と急に言われて、しばらく思案したのちに
ネトフリやアマプラのホームページを開いては、また考え込む
普段あまり映画を見ないからだろうか
最近は映画のネタバレを早口でまくし立てて再生数を稼ぐ動画も多い。私自身罪悪感を感じつつも、たまに見てしまうが視聴した気になっても実際には見ていない....
....自分は一体いつ最後に映画を見たのだろうか?
私は大学中退後半年ほどレンタルビデオショップでアルバイトをしたことがあった。始めての労働経験だった。映画が好きだったからこその選択だが、実際に映画を見た経験はあまりない
それでも、私は映画が好きだった
高校時代までの私にとって自宅で享受できる娯楽と言えば、図書館から借りた本を読むか、両親が見るテレビをたまに一緒に視聴するかの二択しかなかった。今思えばまあまあ厳しめの家庭だったように思う。
ゲームも漫画もアニメも禁止されていた。だから友達の話には全くついていけず孤立したことを悩んでいた時期もあったが、そんな私にも読書以外の趣味があった。
レンタルビデオショップで洋画のパッケージを見ることである
学校帰りの道中や、帰宅後散歩と称して外に出ては近場のゲオに入り浸っていた。(と言っても門限の都合上30分くらいしか居れない)
土日には少し遠くの広めの店舗にも行ったものだ、書店との一体型店舗なども好きだ、今でいうネットサーフィンをするような心持ちにわくわく感を足したような気分であったように思う。
洋画のパッケージばかり見ていた、アニメや邦画はインパクトに欠けるし何より家では見れないから如何せん知識がなく見ても面白くなかったし、なんだかむず痒い感じもした。
だからまずは洋画コーナーに向かうようにしていた
洋画コーナーに着くと、手あたり次第手に外箱をとっては、表のデザインを見て、裏のあらすじを読み込んでいた。少し古い映画のリマスター版によくある、作品の生い立ちに関する文章は読んでいてとてもハイになれた。ドキュメンタリー番組が好きなせいかもしれない。普段見る歴史系と違って映画の生い立ちに関する説明はとても新鮮だった。
文章に付随する躍動感さえ感じるカットは、パッケージを見ることしか許されない自分にとって、未知の探求の果てに触れた真理の欠片のようでとても神秘的なものに映った。
全く意味の読み取れないカットの写真が、自分の想像もつかないような深い意味を内包しているようだった。
自立して、自分で自由に映画を見れるようになってから
あのカットたちが本当に
「大したことのないあまり意味のないカット」
だったという自分にとっては非常に驚くべきショッキングな事実に直面し、しばらくは映画自体に見向きもしなくなった。
現在はその傷も癒え、昔見て面白かった「パッケージの映画」が目につく度に視聴するようにしている。毎回幻想が打ち砕かれて胸が締め付けられるような思いをするが。映画自体は面白いからこの習慣を辞めるつもりはない。
そういえば「最後に見た映画」だが
記憶違いでなければ「ドクタースリープ」だと思う
前作の「シャイニング」に関しては
ドラマ版の原作者が監督したバージョンは見たことがあるが
キューブリック版は思い出が崩壊するのが怖くて未だに見れていない